November 14, 2016 -

As told to Brandon Stosuy, 82 words.

Tags: Technology, Music, Art, Culture, Politics, Inspiration.

Laurie Andersonが語る、現実と非現実

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長期に渡り、多くの作品をさまざまな場面で発表し続けていますが、これまでにアイディアに詰まってしまったことはありますか?その際にはどう乗り越えますか?

何年も前に、ライターズ・ブロック(*突然文章が書けなくなる現象)になった人のためのソフトウェアをCD-ROMで出したことがあります。多くの作家にとって白紙は恐怖です。全面が埋まったページから始めて、彫刻家のように削り取るようにしたらどうでしょう。徐々に友人の名前を変えたり…街や状況を置き換えます。そのうち小説が完成し、まさかそのテンプレートが「罪と罰」だったとは誰も思いません。構成、そしてそれをどう展開するか、どの様に物語を始めるか。

「どうしたらこれを乗り越えられるか?」などと言う若いアーティストには、たいてい、「まず一つ、最低の作品を作ってみなさい」と返します。「自分の思う最も酷い曲にしてみなさい。少なくとも、自分自身のルールというものが分かってくるでしょう。うまくいけば、その純粋なエネルギーの豊富さから、今までにない、良いものができるでしょう」と。「それはイマイチだ」とは、誰も言いませんから。「とにかく酷くしろ。とことん酷くしろ」と、誰かが言っていたのを聞いて、私も試したことがあります。純粋な酷さを表すわけで、これはいい方法ですよ。たまに、それにしがみついたりもします。「ここまで酷かったら、逆に、いいはずだ」って。そうやって延々と行ったり来たりしてる間に、言葉の意味すら分からなくなるから!

もしくは、詰まってしまった時に、大好きなものから学ぶのもいいでしょう。自分はどのように絵を描くのか?本当に一度立ち止まって、『私はどこにいるの?』と問いているか? 実際は、あるすごく繊細な瞬間に触れているだけなのか?自分はそれとどう結びついているのか?

ルーのこの写真(ルー・リードの写真を指して)、これはかなりポーズを造っています。けれど同時に、批評家の注目を集める表情をしています。ポーズで造れる表情ではありません。珍しく写真用ではない表情なのです。それが、ここのスタジオに置いておきたい理由の一つです。非常に研ぎ澄まされている瞬間で、形にしようなどと考えていなく、好かれようなどと思っていないのです。

ヴァーチャル・リアリティ(VR)の良いところは、自由を超えて肉体から離脱できるところです。我々の持つ自己イメージとは何か?私たちがよく言う「現実世界」、それはフィクションみたいで、まるでジェームズ・タレルの作品の様です。常に物事を比較をしています。本当にこの瞬間に在るのではなく、次の瞬間と比べているのです。自分たちの思考が色々な所を飛び回っていて、実は考えれていないとは信じようとしません。

私たちが昨晩行った瞑想はとてもシンプルなものでした。呼吸に従い、身体と一体になり、安静を心がけるという正統派です。けれどこれが、常にブロゴスフィア(*ブログ等ネットコミュニティー)へと飛び去っている人には難しいのです。「自分はヴァーチャル市民だ。どこか別の場所にいるべきだ」と考え、いつも違う場所や、何か違うことをすることについて考えています。この靴とシャツと、この自分の身体で、この場に座っていられないのです。

しかし度々詰まってしまうのは私も一緒です。その際には様々なアプローチをします。まず、うまく行くと思う手法で作り、しばらく楽しんでおきます。それが自分自身の戦略として浸透します。そのあとに、何か違う手段を取るのも良いですし、一番酷い作品を作るのも効果があります。けれどいま自分で話しながら、すっかり先延ばしにしたままの事を思い返していて。それらの方法を試したのですが、うまく行かなかった事に気づいてしまいました。大嘘つきですね(笑)!いまのはうまく行かなかった例です。いや、結局どれもうまく行きません。いい立証でしたね。

ただじっとそこに座らなければいけない時もある、と作家の人たちは言います。5時間座ったあと、その場を離れる。もし何も書けなかった場合は、また次の日もそこに5時間座るのです。作曲の勉強と練習方法について、フィリップ・グラスがそう言っていました。彼はピアノの上にアラーム時計を置いて座り続けたそうです。ただそこに座って、時計を見つめるだけの時もある。彼は決して時間を惜しまない人です。

最近はフィル(・グラス)と演奏する機会が多いです。ものすごく面白くて楽しいです。昨年の夏に、一緒にラヴェッロで演奏した時の、とあることを憶えています。ハードな一日でした。ラヴェッロへと移動し、リハーサルをし、ライブを終え、そのあとに出かけたディナー先で永遠と食べ続け、戻ったのは午前2時過ぎでした。私は数時間後にローマへ向かうための荷物の準備などをしていたのですが、 庭から上がっていくと、フィルとガールフレンドのサリが2時間もヨガをしていたのです。私が「フィル、もう午前4時なのよ。明日にすればいいじゃない?」と言うと、彼は「いや、それでは今日やらなかったことになる。毎日やる必要があるんだ。一度やらなかったら、全くやらなくなってしまうからね」と、言いました。彼は音楽においてもそうなのです。決して自己鍛錬を怠らないで、見事です。フィルとは何十年に渡っての付き合いになりますが、彼は常にそういった姿勢でした。熱心に時間をかけます。彼は天才ですが、勤勉な天才なのです。

きっと簡単なのだろうと人は勘違いをします。「どうのようにして完成させたのか?」と、どれだけ難しかったかなどという想像をしません。私が幾度となく、人生のBプランをくぐり抜けてきたことか、ビックリしますよ。そっちの方がずっといい時もあれば、最悪の場合もあります。他にどうしようもないという状況もあるのです。

Five sound works by Laurie Anderson, one per decade:

1970s - Laurie Anderson / John Giorno / William S Burroughs ‎– You’re The Guy I Want To Share My Money With

1980s - “O Superman”

1990s — The Ugly One With the Jewels

2000s - Homeland

2010s - “Music For Dogs”