October 6, 2016 -

As told to Brandon Stosuy, 162 words.

Tags: Art, Beginnings, Inspiration, Identity.

Matthew Barneyが語る、アイダホ州

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あなた作品におけるアイダホ州の重要性について話せればと思います。

多くの人がそうであるように、家を離れて、ニューヨークへ来てからまた地元へ戻りたいと思うまでには暫く時間がかかりました。最終的に戻る気にさせたのは、その(故郷の)特有の風景です。その景観をニューヨークで、特にマンハッタンの垂直的な街中に照らし合わせている自分に気づいたからです。

アイダホに戻り始めた最初の場所は、自分の育った広大な溪谷にあるボイシという街ではなく、ソウトゥースという山中でした。ソウトゥースは、さらにもっと垂直的な峡谷が川に沿って何キロも続き、山の裏に太陽が沈むような場所です。例えばモンタナのように空が大きくて幅広く、山の景色も遠く見えるような峡谷に比べて、はるかに急で密度の高い峡谷です。

特に娘が生まれてからは、そこへキャンプをしに帰り、毎夏同じスポットへ戻るようになりました。そしていずれ、『River of Fundament』という映画のためにしばらく滞在しました。サーモン川の紅鮭の産卵コースを追い、レッドフィッシュ湖で卵を産んで最終的に死ぬまでの過程を撮影しました。またアーネスト・ヘミングウェイがキューバから戻って自殺をした自宅も撮影し、鮭の放卵と並行して物語を作りました。

このように近年アイダホは単純に訪れる土地であると同時に、自分の育った特有の物語を探して作品に反映させる役割ももたらしています。鮭の産卵とヘミングウェイの物語は、私が幼い頃から聞かされていた神話です。釣りに興味があろうと、鮭の環境に関心があろうと、当時このエリアでは誰もが産卵について知っていて、実際に目にすることもありました。なのでそれは馴染み深いと共に神秘的でもありました。私にとってこの土地は今もなお、その両面性を持ち合わせているのです。

かなり極端な景観で、自分より遥かに大きいので、ニューヨークに住んでいる感覚と似ています。ニューヨークは非常に極端な場所なのでその神秘性を失いません。ある地区が街に適応されても、もう一方の地区が崩壊します。ニューヨークという街が完全に飼い慣らされることはあり得ないのです。

仕事でアイダホに戻ったのは、離れてから5-6年が経った、『Cremaster 1』の時が最初でした。『Cremaster 1』は、ブロンコ・スタジアムの青い人工芝生の上で撮影したのです。地元の延長のように自然に感じられると同時に、自分に対する挑発の意味もありました。アメリカンフットボールのフィールドで本来行われる物事や、かつてそのフィールドで若いスポーツマンだった自分の経験を、ゆっくりとした女性らしい動作の振り付けに置き換える必要があったのです。

この作品では、キャビンアテンダントの女性たちが窓の外のを眺めている長い場面がたくさんあります。フィールドで何かが起こるのをなんとなく待ち望んでいると、若い女優がさらに大勢の女性のコーラス隊に囲まれるシーンです。主人公としての自分をまるっきり他のパフォーマーに置き換えた初めての試みでした。それを女性にしたのです。

『River of Fundament』は、その場所と神秘的な物語により自然な関係性がありましたが、『Cremaster』はよりはるかに人工的でした。いずれもうまくいったようです。

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CREMASTER 1: MS Goodyear, 1995 C-print in self-lubricating plastic frame

徐々に年を重ねるにつれて、その土地に対する何か覆さねばという思いは減りましたか?

いまアイダホでよく通っているのは、River of No Return Wildernessという近辺で、私が育ったボイシの文化とはまた違う環境です。若いアーティストだった頃の自分は、子供の時に圧迫感を抱いたアイダホ文化の一面を取り扱うことに興味を持っていました。この『Cremaster Cycle』のシリーズ、『Cremaster 1』、そして、ユタ州のモルモン教地域で撮影した『Cremaster 2』は、若い頃から思いためてきた、この周辺で育ったが故の物語です。それ以来このエリアに対しての興味は変化したと思います。確かに今となっては、あるまがままを受け入れやすくなりました。

あなたは、アイダホ州出身者として見られていると思いますか?それともニューヨークに住んでいる人だと思われているのでしょうか?

おそらくニューヨークに住んでいる人として見られていると思います。アイダホには際立ったアートの文化がないので、それに関与する場も特にないのです。関わりがあるのは古い友人と家族だけです。

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RIVER OF FUNDAMENT: Sawtooth National Monument, 2014, Engraved brass in brass frame

ニューヨークの引力も作品に反映されていると思いますか?

出発点は常に場所からでした。これまで作品の拠点としてきた場所が多数ありますが、その多くはアメリカ国外でした。ただ、個人的に一番親近感のある作品はアメリカを舞台にしたものだと言えます。単純に馴染みのある場所なので、個人的にも抽象的にも関わり合えるのです。それはそれとして、また時にはある場所に同じように深く関わりつつも、個人的なレベルではなく、あくまで客観的に取り組めるのもホッとします。 ニューヨークは長い間私の本拠地として、抽出作業が行われる場所です。私のアーティストとしての習慣は、狩猟採集民の様なものなのだと思います。色々な場所へ行って素材や物語をかき集め、スタジオに戻って、抽出したものを作品に落とし込むのです。

Some things that were influential to Matthew Barney: