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ピカが語る自分に正直に生きる事

序章

大阪生まれ。2002年にバンド「あふりらんぽ」を結成し、ドラムボーカルを担当。カメルーンに約二ヶ月滞在し、バカ族と共演して製作したアルバム「バカが来た!」をリリース。2010年に解散した後ソロ活動を始動させながら、Acid Mothers Temple & The Cosmic Infernoのドラマーも務める。国内外数々のミュージシャンと共演し、2011年の東日本大震災を受けてエネルギーを考える祭つくりプロジェクトTAIYO33OSAKAを発起。2016年 あふりらんぽ再結成。

会話

ピカが語る自分に正直に生きる事

September 13, 2017 -

As told to Brandon Stosuy, 51 words.

Tags: Music, Adversity, Inspiration, Collaboration.

コラボレーションする相手はどのように選んでいますか?

ほとんど実は考えてなくて、出会っていく中で面白いと思ったらやってるだけです。やけどその面白いという線がどこなのかってなると、かっこつけてるか、かっこつけてないかどうか。あ、本物やなって。

演奏をしていて相手がかっこつけてるなと分かる時はありますか?

感じる瞬間はあって、でもそれは自分にもある。やけどそれにお互いが気付いている時が結構面白かったりする (笑)

長年に渡って共演している人とは次第に距離感も縮まって一体感みたいなものも生まれて来ますか?

インプロかバンドかによっても変わるけど、インプロだったら関係なくて、何度もやってる人でもその時初めてって感じで、鮮度みたいな部分で楽しんでいます。

(バンドかインプロか)どちらか好みですか?

両方全く違うから選べないかな。でもバンドはもう生き物になってくるから、キープしていくのにただ音楽だけっていうのではなくなってくるから、一人の人間としてすごく学ぶ事は多いです。それがまた今度インプロする時にも影響してくるから循環していっている感じで。

インプロでは対話や反応を繰り返して常に過程の最中にある様に感じます。一方バンドとして曲を録音して作品として形になると完成します。インプロでは終わりがない様に思えます。

もしかしたら逆かも。バンドって実はレコーディングしたまでがバンドじゃなくて、インプロの方がそこまでみたいな。それで終わりーみたいな。でもバンドはその後、音楽以外の事とかも色々とやらなあかん事もあるから。

プロセスについて話してきましたが、日本は2011年に大地震がありました。その際に音楽活動を一時辞めたと伺いましたが、また再開するにあたって製作の過程にどの様な変化がありましたか?

3.11の前と後では一言では言い切れないけどすごく変わりました。地震があった後、一回自分の音楽活動を置いて社会・政治活動を2年くらいやって、それで自分が今までやってきた事が本当に必要だったのか確かめたかった。ライブをするのとか、お金をかけてアートを作る事とかが生きる為に必要なのかなと。そのお金を被災地に送った方がいいのかとか。当たり前の事やけどそういった事に向き合わされて。震災前は本当に考えてないただのバカっていうか。電気もどこから作られてるか考えずにただもらいっぱなしで、言ったら地球と繋がってるつもりだったけど、繋がれてなかった。地震があってそれが浮き彫りになったけど、知れたからもっと強くなれた。

その後またどの様に音楽活動を再開していきましか?

ただただやっていく中で掴み直していくって感じです。その間も表面的にはフェスティバルを作ってたり音楽活動はしてたから。心の中では実験してたっていうか。

どの様な経緯でフェスティバルを作ったのですか?

地震が起こって色んな問題を社会がみんな人のせいにしててそれがすごい嫌やって。自分はそれまで原発の事とかも分かってなかったから何も言われへん。分かってないから人のせいにも出来ない。でも今まで音楽をやってたから音楽の力は必要やと思うし、うちらも何か出来へんかなと思って友達のアーティストを集めて話し合った。でもそしたらみんな全然人のせいにしてて、全然アーティストじゃなかってん。分からないって事を言えないですぐに結論を出そうとする。原発をなくそうとかそういう事を言うのももちろん大事やけど、その前に自分たちの暮らしに対しての責任みたいなのをちゃんと感じて意識してもらうことの方が先なんじゃないかなって思って。

物をちゃんと自分たちで作る意識を持ってもらう為にも、一緒にお祭りを作るプロジェクトを立ち上げて、いまこの日本に対して何か分からないけど自分の力を貸したい人たちが集まって何かしましょうと。自分たちが太陽になって電気を生み出せるんじゃないかと思って。大阪万博の太陽の塔の光って、原発で初めて光ったのね。だから最初はそれを人力発電とかで光らせたいっていうプロジェクトだった。そういう馬鹿げた事を一緒にしましょうって。最終的にはそれは出来なかったけど、そうやって二年間馬鹿げた事をずっと叫び続けて。

お祭は結果3ヶ月くらいで作ったけど、一番重要なのはその騒いでる過程を見て欲しかった。うちらの考えに賛同しなくても、原発とかエネルギーとか、地球のことを考えて、誰かが何かをしてる、っていうパフォーマンスに対して関心を寄せたかった。それで日本中を旅して、日本についてどう思いますか、っていうサミットを起こしてちゃんと現地の人の話を聞いて、その声をホームページにアップしていきました。

お祭りを作るのはインプロみたいな感じでしたか?それともバンドみたいな?

そう! ほんとバンドみたいで、あふりらんぽでやってた事やんみたいな。でもフェスティバルは規模が大きいからどうしてもヒエラルキーが生まれて政治的な組織にはなりました。政治に対してすごいアンチなイメージがあったから最初はそれがすごい嫌だったけど、自分がフェスティバルを起こすことによってすごい色んな気持ちが分かって、全部仕方ないことなんやなって事が理解出来た。だからこれは必要なことなんやって。お金を集める時もすごい面白い社長さん達に沢山出会って、この人は社会でやっていかれへんよな、みたいな人。多分自分で会社を立ち上げるしかなかったんだろうなみたいな。でぱっとそれを知って見たときに、社会ってそうやって成り立ってるんやみたいな。多分一緒に誰かと出来ない人が、仕方ないから自分の世界を作った集団を社会と思えばありかもって。

また今後フェスティバルを企画したいという思いはありますか?

必要な時が来たらまたやりたいです。ああいうお祭りは大地震が来た後だからこそできたパッションだから。一番学んだのは、自分の意見を伝えながら相手の違う部分を受け入れるという事。これってすんごい当たり前の話をしてんねんけど、でも日本だと人と喋ってて違う意見やったらその人は否定されたと思うねん。本当のコラボレーションは第三の道を導いて、そういう部分から相乗効果で生まれるのに、やっぱりその方法が分かってない人が多くて。

そういった意味ではバンドは会話だと思いますか?

繋がってる感じはある。完全に繋がってる時って全体と一緒になってるから、その時はすんごいいいライブやなって感じはあります。

お話を伺っていると、活動の動機の中心には誠実さがあるように思えます。

うん、そうだと思います。いかに私が私で生きるかみたいな部分を貫くなかで、ぶつかっていくものをどう対応していくか。ぶっちゃけた方が本当の心と心がぶつかるからいいと思う。

影響を受けた5つの事

  1. 母親
  2. ドラム
  3. 太陽
  4. 友達

日本の良い5つの事

  1. 感謝の気持ち
  2. 食べ物
  3. 祈り
  4. ぶっちゃける文化
  5. 大阪の人は本当にやりたいことを探してる

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