September 27, 2016 -

As told to Brandon Stosuy, 106 words.

Tags: Music, Art, Technology, Collaboration, First attempts, Focus, Adversity, Beginnings.

が語る、自然とテクノロジー

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あなたの作品には、常に自然とテクノロジーが重なり合っていますね。

私にとって自然とテクノロジーは、希望、そして未来に向けて前進する動きを象徴しています。常にそう考えてきました。アイスランドで育ったのと関係しているでしょう。ヨーロッパの都市の一つであるにも関わらず、私は今まさに家のすぐ外のビーチを歩いているのです。広大ですよ!初めてテクノロジーに惹きこまれた時を覚えていて、それは歯医者さんに行った時でした。私はすべてが木などの生のもので造られている、ヒッピー学校に通っていたのです。なので歯医者さんに行った時に、「わあ、これが未来だ!」と思いました。口の中に色々な物を入れられて、「未来がやって来た、これこそが物事を動かす部分なんだ」と。

またなんとなく直感的に、(我々の将来に)希望があるのだとすれば、テクノロジーと自然を団結すべきなのだと知り得ています。両者を共存させ、お互いが力を合わせられるようにすべきです。我々が生き残るためには必然だと言えるでしょう。限定的な考えかもしれませんが、年を重ねるにつれて、自分がいかに出身地と原点によって形成されているのかを、より実感してくるのです。しかしどういうわけか、私にとってはそれが自然な状況で起こる場合の方が想像しやすいですね。こうして今、ヨーロッパの都市のビーチから(ニューヨークにいる)あなたと電話で話しているように。テクノロジーがあるから、なんなら、iPhoneのアプリを使って山の頂上で曲の録音もできます。これは私が生涯理想とする希望を含んだ調和です。常にそう信じています。アルバムを作る度に、よし、今回は全く新しいものに挑戦しようと試みても、結局同じアイディアに戻ってしまいます。パンクバンドをやっていたティーンエイジャーの頃から、(その考えは)わりとずっと存続し続けています。

『Volta』のアルバムツアーを回っていた時に、タッチスクリーンを搭載していました。iPadが出る前の話です。新しいテクノロジーが現れた時の楽しみの一つは、「これは何に使うのだろう?」と、殺人ミステリーみたいに解明することです。大概くだらないのですが、必ず何かが、「ああ、ようやくテクノロジーが追いついて、私の中にあるごく自然な機能を描いてくれる」と、感じさせてくれます。生活がより楽になります。皆、私がテクノロジーにものすごく精通していると思っていますが、実際は逆です。自分はまるでダメで、iPadが現れて初めて、私にもテクノロジーが使えるようになるのです。

『Biophilia』では、教育と音楽学についての自分の気持ちをやっと整理できて、とても興奮しました。というのも、音楽学校に通っていた子供の頃、音楽や反響、音階、音色について強制的に学ばされ、不快に感じた事もあったからです。その全てが普通の本から(の知識)で、それを何時間も座って読むなんて。見えたり聴こえたりするのであれば、感覚的に身体と感情の一部になるべきです。『Biophilia』に取り掛かかるためにビーチ沿いの家を借りて、そこで私たちはすべての音楽学の基礎をプログラミングしていたのです。リズムやコードやメロディ、などなど。

タッチスクリーンは、要は3Dの本であるというのは、なぜかとても明確でした。今となっては、大概そのように使われているのが分かるでしょう。特に三次元でなければいけない物理学や数学、音楽など、学校で使うには最高です。これも(先ほどの楽しみと)同じことですね。まず道具を発見すると、それは新しい友達に出会ったようなもので、お互いのどの部分で魔法のような繋がりが生まれるか、最も成長するポテンシャルはどこなのかを探り当てます。常にこういった原点に戻ります。未開の地に足を踏み入れる感覚、その沸点がたまりません。

なぜVR(ヴァーチャル・リアリティー)の世界に興味を持ったのですか?

VR対する興味は徐々に湧いてきました。『Biophilia』とは逆です。『Biophilia』の場合は、すべてを断絶して、その空間を創りました。異国の島へ行き、歌詞や作曲、テクノロジー、プログラミングまで、あらゆるものを並行して育てようと決めたのです。リリースをした時には、すべての面において準備万全でした。けれど『Vulnicura』はほぼ真逆で、アルバムは素早く書きあげ、そして流出してしまいました。(アルバムの)内容に沿うかのように。ああ、取り憑かれているのかもと。いま思い返せば、その流出は私たちに良い刺激となりました。チームの仲間で、「そうか、まあ何事も一歩ずつだ。マスタープランなんていうのは、クソくらえだ」と言い合い、残された状況で反射的に対応するほかなかったからです。

VRはまだ成長過程にあります。ほんの去年までは、大きなヘルメットのようなものを被る必要がありましたが、それも洗練されてきました。あなたの言うように、まだ完全に解明されていない代物です。まだ完全に凝固していません。

ワクワクしますね。未知に触れる感覚が大好きです。たくさんの間違いを犯すのを恐れずに挑むと、うまくいったときに大きな満足感を得られます。そのスピリットが大好きです。テック・オタクの人たちと一緒に、馬鹿げた話をするのはとても楽しいです。いま、何やらすごい音波で面白い試みをしている会社と話をしています。歩き周りながら曲の違うパートを聴けるので、それぞれの曲によって変化を持たせたりできます。360度で音を体感する状態の様な。

先日友人と話していたのですが、映画や演劇、CDやレコードなど何か新しいものが出ると、それらの定義をするのがとても楽しいのです。私はVRを、ワグナー崇拝的な様なもの捉えています。そこに座って、「なんという…たった一つのステージだけを見ながら、3時間もかけてどう解決するのでしょう?」と、考えていました。みんな興味津々です。二次元やコンサートとは違った格闘がありますね。けれど、VRでも問いは全く同じです。カメラが中心にあって、自分の周りを見渡せる。そしてあらゆるものをどこに置くか。もう、ものすごくワクワクしますね。謎解きをするように。その解明に携われるのは特権です。

VRは人を自然界から切り離すようなものでしょうか、それとも現実に混ざり合うようなものと捉えていますか?

その両方だと思います。双対であり、そうあるべきだと思います。どちらかを逃れようとして、その一方に集中してしまうと、いつまでたっても堂々巡りになります。うまく伝わっているか分かりませんが、自分の尻尾を食べてしまうような状態です。常にこういった疑問が浮上しますが、人々は昔から同じ疑問を繰り返してきました。例えば、通勤中の電車などで本を読んでいる人たちを見て、一緒に同じ電車の空間の中にいるのか、それともどこか物語の中にいるのか。その感覚と全く変わらないと思います。もちろん、(VRには)また違った課題はありますが。

誰かから聞いた話ですが、その人は、ある物理的に間違って作られたおかしなゲームを一日8時間近くやり続けていたそうです。山までの距離か何かの計算がおかしかったとか。すると数日後、ゲーム内に入ると酔ってしまって、しばらくすると慣れ、マシンを外すとまた酔ってしまうような状態になったそうです。そして、吐き気を止めるために、またマシンを装着しなければならなかったと。当然ですが、とても怖いですよね。何事もそうですが、怠惰にならずに、何が自分にとって良いものかを、自分の魂と人間性を持って紐解いていかなければなりません。こういった、古き良き倫理は戻ってきます。中毒にならないように。

もっとアナログで共有性のある話をすると、最近は4時間の長時間DJをしていますね。

そうですね、友人たちとDJをしています。ものすごい手間をかけてセットを準備し、すべてがとても楽しいです。すごく情熱を持って打ち込んでいるので、共有するべきだと思って。今この時点で本気で地図を捨て、自分の鼓動が打つものに正直になったたときに、私にとってはそれが納得のいくものだったのです。

『Biophilia』の学習的な部分もVRも没頭させられるものなので、さらにライブを行うのは違和感がありました。よりもっと私が中心になるので。けれど、(DJをすることで)自分の音楽に対する愛と、他の人の音楽を共有できるので、その方がしっくりきたのです。私への注目よりも、音楽に対する情熱が大切なのです。しかも自分のお気に入りの曲を次から次へと大音量でかけると、不思議なエネルギーが生まれます。実際にエネルギーが放たれるのです。他の人が作った音楽は大好きです。私が関わっていないお気に入りの曲で興奮して、ただ飛び跳ねるのが好きなのです。私自身からの休憩みたいなものです。全てにおいて、なぜやり続けるのかを思い出させてくれます。

とは言いつつ、ルールには常に例外もあります。ロンドンではライブを行なったので、いま話したすべてと矛盾してしまいます。ロンドンではまだ演奏していなかった上、ロンドンは、私を今の音楽家としての自分へと完全に形成するのをサポートしてくれた街で、ひどく感傷的な場所なのです。私にとってはもう一つの地元、特に音楽の地元です。アレンジにスポットライトを当てるための試みで、ライブはヴォーカルと弦楽器のみでした。ビートのない、ストリングスのアルバムをすでにリリースしていて、このアルバムにはかなりエネルギーを注いでいて、それぞれに微妙に違うバージョンの部分もあり、ポーランドのヴィオラ・オウガニスタ奏者にも参加してもらいました。ストリングスだけでのライブは初めてだったので、「そこでやるのがふさわしいのかも、ロンドンの友人も皆んな招待できるし」というように、色々加算された結果でした。

いつものように即興でやります。実際、こういった(VRなどを使った)表現は、それほどエネルギーを使いません。それもVRみたいな展示の良いところです。自分の時間のほとんどは作曲ばかりに費やしていますから。一年前にツアーをするのをやめたときに、すぐに新しいハッピーな曲を書くことに専念しました。いまはこういったバランスの生活をしています。両方ともぶつかる事なく、調和しています。自分の二面性みたいなものなのかもしれません。

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