August 6, 2018 -

As told to Brandon Stosuy, 170 words.

Tags: Music, Creative anxiety, Collaboration, Focus.

コラボレーションと人の記憶について

ミュージシャンのハトリミホ(羽鳥美保)が、コラボレーションの重要性、アートにおけるメモリー(記憶)の役割、プロジェクトを手放すタイミングについて語ります。

他のバンドのプロジェクトにゲスト参加したり、自分自身のプロジェクトにゲストを招いたりなど、長年の間、あらゆるタイプのアーティストと数々のコラボレーションを実現してきましたね。他人と一緒に取り組むという経験から、どんなことを学びましたか?

私の場合、自分の音楽キャリア自体がコラボレーションをすることで始まったような感じです。私にとっての初のコラボレーション体験は、ドアーズ (The Doors) の「ハートに火をつけて (Light My Fire)」のカバーを歌うようビースティ・ボーイズに頼まれたことです。まさにそこから自分の音楽キャリアが始まった感じで、気が付けばコラボレーションするのが自然で当たり前になっていました。私にとっては空気のような、なくてはならない存在。創造性を生み出すためのナチュラルな形ですね。コラボレーションの仕事はとても楽しいですし、一緒に働く人達から沢山のことを学ぶことができます。一番のメリットはそこですね。私はソロ創作もたくさんしているので、そんな中で他の人と取り組むことができるのが嬉しいですし、とても貴重な体験です。

ゲストとして誰かのプロジェクトにコラボレートすることと、特定のバンドでフルタイムで参加することでは、特に異なる点はありますか?この二つの状況では違ったアプローチで取りかかるようにしていますか? また、プロジェクトごとに取り組み方が変わったりすることはありますか?

毎回必ず、その人達の求めるものが何かを把握します。私にとってはこの点がとても重要ですね。プロジェクトによっては、あくまで「相手のプロジェクト」なわけで、私のプロジェクトではないのです。例えばあちら側は、ある1曲の歌だけで一緒に取り組んでくれる人を探していたりするわけです。だからその点では、私はプロデューサーとしてではなくアクター(役者)として参加するような感じ。でもその反対のケースで私独自のプロジェクトの場合でも、やはり一緒に仕事をする人達から学ぶことは沢山あります。これまでに私が仕事で携わった人達の多くはいつも前向きな姿勢なので、とても刺激になります。

1つのプロジェクトだけに集中しようと思ったことはありますか。それとも常に複数のプロジェクトに取り組む形の方が自分に合っていると感じますか?現時点では、3つのフルタイムのプロジェクトに取り組み中ですよね?

実はいつも、1つだけのことに集中するのが難しいなと感じます。多分もともと、1つに集中できないタイプというか・・・もしかしてADDなのかも。ある意味子供っぽいってことかもしれません。でもある時点で、そんな自分を否定する必要はないと決めたんです。そんな自分だからこそできることがあると。私には豊富な想像力とビジョンがある。だから、取り組むことが多いほど、困難ながらもやりがいがあると思ったんです。まるで、モノ創りのために自分のパーソナリティを小分けにして意欲を掻き立てる感じ。 頭の中を常に整理しておかなくてはいけないので大変ですが、とても楽しんでやっています。私にとってはそれが健康的なアプローチだと感じます。こうやって沢山のプロジェクトに取り組むことで、自由きままにマジシャンになったり、クリエイターになったり、アーティストになったりできるわけですから。

2~3個のプロジェクトに同時に取り組んでいる時には、そのうち1つを優先したりしますか?それともすべて平等に取り組みますか?

私にとっては どの「子供たち」も同じくらい重要。それぞれが異なる特質をもっていて、それに対する私の姿勢もプロジェクトごとに異なります。 でも、どのプロジェクトも私の情熱でありエネルギーでもある・・だからどれも公平に大事なんです。

あなたは長い間作曲キャリアを積んできましたが、自分が音楽業界で駆け出しだった頃からのこの業界の変移を振り返ってみて、その変化のおかげでさらなる柔軟性が生まれ、より多くのプロジェクトが可能になったと感じることはありますか?

どちらともいえないですね。 昔は状況が全く違ってましたから。当時は私自身も Cibo Matto にもっとフォーカスしながらその他のコラボレーションにも取り組んでる状況で。でも、経済的にはこの業界はかなり変わったと感じます。ただ私はどんな時も、常に「今ある状況」をプラスに捉えるように努力してます。だって、昔に戻ることは不可能なんですから。それに、最近は有能なアーティスト達が一杯います。この若いアーティスト達が一体どうやって学んできたのか、不思議でならないですね。まだほんの20歳くらいの若さなのに、複雑な音楽をプロデュースできる能力がある。私の方から彼らに「一緒に曲を作らない?」ってアプローチしてる状態ですよ。だから今の音楽シーン、特にNYCの音楽シーンにはワクワクさせられますね。今が一番エキサイティングな時代だと思うし、とにかくバラエティに富んでいます。90年代はもっとコミュニティが小さくて、すべてを把握するのももっと簡単でした。逆に今は自分から進んで求めるものを探し、見つけ出す必要があります。この違いは本当に大きいと思う。昔は Village Voice の新聞をチェックするだけで良かった。だからリスナーにとっても今の方が難しい時代でしょうね。でもそれって逆を言えば、もっと自由になったってことかもしれません。

あなたの新しいプロジェクトの1つ「New Optimism」について、当初はそのデビューをご自分一人でやろうと思っていたと伺いました。でも最終的には、レーベルを使ったデビューを決断されましたね。このアプローチを取ることにした理由は?

PR 面で不安があったからです。取り組み中の他のプロジェクトもあったので、自分でどこまでできるのか自信がなかった。人によっては自分の力でこういった仕事を整理できる人もいるんだろうけど、私にはその能力がないと思います。あと、レーベルに関してですが、Phantom Limb にお願いすることにしたのは、私の音楽を本当の意味で気に入ってくれたと感じたのと、実際にそういう風に私の音楽をこよなく愛してくれる人達を探していたのが理由です。最近は特にその点がもっとも重要だと感じますね。だからレーベルにお願いすることにした一番の理由はコレです。あと、他の人のエネルギーを感じながら仕事に取り組むことができるのも良いですね。

創作上で行き詰ることはありますか?また、色んなことに携わってらっしゃるので、例えばもし1つのプロジェクトでつまづいたりすると別のプロジェクトに移ったり・・・ということはありますか?

何かに取り組んでいる時は、常にフレッシュな感覚で取りかかりたいと思っています。その新鮮なワクワクした気持ちがないと、人を感動させたりすることは不可能です。この点が私にとって一番重要な点ですね。

私は、自分自身を3つに分割するんです。今のところそのアプローチが自分にとってはうまくいってると感じます。仕事ではあらゆるタイプの音楽に携わっていますし。沢山の側面が存在する今の世界にはそれがしっくりくるというか。実際、この世界で生き残っていくにはこのアプローチが必要なのかもしれません。時には、イスに座っていざ何かを作ろうとしても、まったくアイデアが浮かんでこないことがあります。そういう時には、逆に考えないようにします。どこか別の場所に行って、音楽についても、他のあらゆることについても一切忘れてしまうようにします。不安な気持ちで仕事に駆り立てられることもあるけど、一旦取りかかり始めたらアイデアが自然に出てくるだろうと信じています。だから無駄に心配し過ぎないようにしていますね。 

インスピレーションって難しい。どこからともなく簡単に作り出せるものではないんです。インスピレーションがたまたまそこにあるってこともあるけれど、いつどこで何が私たちの引き金を引いてくれるのかは決して分からない。場合によってはいつもと全然違うものだったり。そういったものを上手く見つけて捉えていくことがとても重要になると思います。

自分の曲作りの形が駆け出しの頃と比べて変わったと思いますか?

そうですね、同じ部分もあると思います。フィーリング自体は同じですね。エネルギー自体は同じような感じだけど、アプローチはかなり変わったと思います。今は素晴らしいプログラムやソフトウェアが沢山あり、新しいテクノロジーも豊富です。すべてを自分でこなすことも可能になったし、その点は素晴らしいと思います。自分だけで機器を運んだりとか、物理的にも自分一人でできることって限られていますから。それが、新しいテクノロジーのおかげで身軽な移動が可能になった。沢山のギアを自分で運んだりするのが困難な女性アーティストにとっては、まさに自由を与えてくれる素晴らしい傾向ですね。私にはこの傾向が未来的・革新的だと感じるし、私にとっての「ニューオプティミズム」なんです(オプティミズムとは物事の良い部分に注目する”楽天主義”の意味。ニューオプティミズムとはその新しい形)。

「New Optimism(ニューオプティミズム)」という名前はどこからインスピレーションを得ましたか?

10年くらい前に、当時映画業界やTV広告業界で使われていた 「new sincerity」という言葉(”誠実さ”を意味する “Sincerity” に “New” をつけ、若者文化の皮肉さを表現した言葉)を耳にしました。9・11のテロ事件の後だったと思います。当時は「アイロニー(皮肉)」の存在がすごく強くて。この「new sincerity」という言葉の大元になるのも、皮肉さです。だから、その全く反対の名前を付けたいと思い、この「New Optimism」という名前を思いついたんです。普通のオプティミズムとは違う、なんとなく「ゴス」っぽいオプティミズムというか。「あーあ。現実に直面しちゃったよ」という部分を強調した感じ。 昔の方が、例えば80年代とかの方が、もっとオプティミズムがあったと思います。でも今は全く違う時代なわけで、だからこそこの新しい「ニューオプティミズム」に焦点をあてて行きたいと感じています。

どんな状況でも何らかの光を見つけることができると信じています。でも、ただのオプティミズム/楽天主義は少しナイーブすぎる。だから、私にとって「New Optimism」とは、少なくとも目の前の現実にまずは目を向けよう・・という姿勢で立ち向かうことを意味します。 今私たちがいる暗闇ばかりの「ゴスの世界」ではシニカル(皮肉な・ひねくれた態度)になる時間も余裕もありません。 でも同時に、このゴスの世界は興味深い世界でもあります。何か楽観的になれるような対象を見つける心理ゲームみたいな感じ。暗闇の中にいると、何も見つからないこともあります。でもその暗闇の中で何かを創り上げることだってできるはず。「New Optimism」と言う名前には、そういった忍耐とか我慢強さの意味も含まれています。

Cibo Matto をやめようと思ったのはなぜ?

作曲が出来なかったんです。自分でもそれを認めるのはとてもつらかった。「どうして書けないんだ?」って・・・。私にとってはキャリアを通して一番大きな存在だったので、諦めるのはとても難しかった。それに、私一人で決断できるものでもなかったし。やめるという決断に達するまでかなりの時間がかかりました。あのプロジェクトは特別な存在でしたけど、変化が必要だとも感じました。なんというか、ある種の静的エネルギーを取り出して、前に進んでいく感じ。多くの状況下で、特に人間関係においては、そういう変化も大事になってくると思います。

それに最近は、多くのバンドが再結成したりしてます。だから今後も「絶対にない」とは言い切れないですね。

そうですね。私にとってはそれは自然な流れで起こること。時にはその流れに逆らわずに従うことも必要だと思います。 Cibo Matto への愛情に変わりはないし、私たちの作った曲も存在し続け、ファンたちもいつもそこにいてその時々の瞬間を分かち合っている。それってものすごく貴重なことですよね。それに、常に将来を予測していくなんて無理なことですから。

Cibo Matto の終了が決まった時、あなたの他のプロジェクトへの取り組み方に変化はありましたか?

新しいプロジェクトに集中できる時間が増えましたね。

私の心の中では Cibo Matto は全く別な独自の場所に存在してました。いや実際、今もその同じ場所に存在し続けています。これって私自身にとっても、すごく興味深い発見ですよ。Cibo Matto がその場所に居続けるのは、それが私のコントロールできることではないからなんです。Cibo Matto は人々の歴史の中、心の中、ビジョンの中に存在し続けているから、私がどうこうできるものではないんですよ。もうこのバンドの活動は辞めてしまっているけど、多分ファンたちは引き続き Michel Gondry のビデオを閲覧していくわけです。つまり、私の歴史の中で、その Cibo Matto 時代はそういった心のどこかに取り込まれて存在し続けるということです。

それこそ、人間と記憶の興味深い点ですよね。私にはどうすることもできないけど、それはそれで良いかなって。私という人間のその時のバージョンは今もここに存在する。こう考えることで、今の自分たち自身をどう見つめるか・・ということも考えさせられます。だって私たちは常に変化し続けているのですから。

人間の脳って本当に面白い。私たちは常にいろんな記憶や思い出を持ち続けるわけですが、その中には忘れられていくものもあれば残り続けるものもある。でも私たちは、どんな思い出や記憶も忘れずに持ち続けて行きたいと願う・・・。私には、もう亡くなってしまったアーティストの方々もまだここにいるように感じられます。どんな場面でも常にその瞬間を記憶に捉えていくことができるというのは、とてもパワフルなこと。

音楽ってそういうことなのかな、って思います。

私に(New Optimism に取り組むうえで )インスピレーションをくれた5人のお気に入りアーティスト/エキシビジョン:

  • 岡本太郎 - 日本国外ではあまり多くの人に知られていない彼ですが、戦後日本の芸術界を代表するアーティストです。彼を「日本のピカソ」と呼ぶ人もいますが、私は個人的には岡本太郎は誰とも比べられないアーティストだと思っています。よく家族と一緒に(一家三世代で)彼の展覧会を観に行きました。きっと日本のクリエイター達の多くが岡本太郎の芸術に触れて育ちインスピレーションをもらったのではないでしょうか。特に、縄文時代に関する彼の研究は見事です。 これは私の個人的な意見ですが、戦争で失われてしまっていた日本のアイデンティティを、岡本太郎は縄文の研究、そして彼独特の個性とパワフルなスタイルをもって、再発見してくれたのだと思います。

  • エドゥアール・グリッサン - 彼の理論にはものすごくインスピレーションをうけました。 特に「<関係>の詩学」は大好きな本です。私のプロジェクトの1つ「(Le Salon de la) Mondialité」はグリッサンへの献呈プロジェクトです。

  • キャリー・ヤング /Palais de Justice(パレ・ド・ジュスティス) - Paula Cooper Gallery での彼女の個展は2017年のアートショーの中でも私の一番のお気に入りです。「女性らしさ」のパワフルな新時代を感じられるストーリー仕立てのビデオで、大人らしく穏やかながらにも力強い。もう一度観たくてたまらないです!

  • 村上隆 / リトルボーイのカタログ - この個展 はジャパン・ソサエティで開催されました。 このカタログが本当に最高なんです!日本人のアイデンティティを本当にうまく表現している。村上氏以外でこの日本のアイデンティティ問題を西洋の背景や視点でここまで上手に説明できた人はいないのではないでしょうか。 それに、この翻訳自体も私にとっては芸術ですね。リンダ・ホーグランドは日本語翻訳家の中でも最も才能あふれる翻訳者。だからこのカタログも最高の文章に翻訳化されています。私のプロジェクトの一つ、New Optimism へのインスピレーションとなったカタログです。

  • 泉太郎 / Pan - パレ・ド・トーキョーを訪れた時にこのアーティストの存在を知りました。彼のユーモアセンスとアプローチはとってもユニーク! まるで楽しさと深刻さの境界線ぎりぎりに立っている感じ。その微妙な感じをうまく表現できる言葉や感情が思いつきません!